阪急東宝グループの創業者、小林一三さんの記念館へ (資料編)
*前回の続きです*
展示品の中でも、わたし的にテンションが上がったのが、こちらです。
NHK 放送90年ドラマ「経世済民の男」(小林一三さん編)の劇中で登場する小道具の写真。
△の上の社員
前列左から:阿部サダヲさん、瀧本美織さん、ほか成人した子ども達(予想)
△の左下写真
前列左から:子どもを膝にのせた瀧本美織さん、その右隣に立つ阿部サダヲさん、ほか幼少期の子ども達
△の右下写真
後列右から:阿部サダヲさん、その左斜め前に座る瀧本美織さん、ほか幼少期の子ども達
(信じられないくらいピンぼけの写真ですみません。カメラ初心者なので悔しいです)
*気を取り直して*
記念館「雅俗山荘」の解説から。
続いて、別館「白梅館」展示室1階の展示品を載せていきます。
上段は「三井銀行勤務時代の辞令各種」。
いちばん左は「東京本店勤務 申渡」(明治16年4月4日)
中央は「大阪支店勤務 申渡」(明治26年9月8日)
中央右横は「名古屋支店勤務 申渡」(明治30年1月19日)と書かれています。
そして下段は24才~26才頃までの名古屋支店勤務時代に書いた「はらみ猫」という戯曲の資料。
解説版には
「名古屋の開放的な風俗に強く影響されたようである」
「20歳代半ばの人のものとは思えないほどの筆の運びで、風刺も十分に効いた佳作である」
というような文章があります。
ドラマでも、銀行で小説を書いたりしていたのでその当時のものですね、たぶん。
下は、三井銀行時代の記念写真。
そして明治40年1月に三井銀行を辞職した一三さん。
「辞職始末記」なる資料もありました。
(肩書きが「阪神急行社長」とあるので、辞めてから年月が経った後に作成されたもののようです)
下が、辞めた当時の三井銀行本店 外観。
そして、阪急電鉄などの事業に力を入れている頃の資料に移ります。
大正9年9月に印刷された阪急電鉄を売り込むチラシ「沿線名所案内」のようです。
確か、自ら制作されたって聞いた気がします。
キャッチコピーは「論ヨリ○○(◂解読できず…「証拠」かな?)、是非!一度乗って見て下さい!!」
本文は、「新しく開通(でき)た阪神急行電車」という見出しで
大阪からのアクセスの良さや利便性の高さをPRした文句が並んでいます。
下は、沿線に住宅地を開発した際のPRパンフレットみたいです。
「月12円で買える土地家屋 理想的郊外生活」と表紙にあり、中面では「新宅物語」という見出しで文章が書かれています。
当時の大阪は開発が進んであまり空気が良くなかったみたいですが、
兵庫の芦屋あたりは田園風景が広がるのどかな所だったみたいなので、需要は高かったかもしれません。
ドラマ(経世済民の男)でも、自らチラシを配ったり乗客を案内したりする様子が映ってました。
もと銀行員と思えない、広告代理店社員のような広告・広報の手腕が感じられます。
そして、いよいよ「宝塚少女歌劇団」の資料たち。
右列は、大正3年(1914年)4月1日に行われた第1回公演の演目の写真。
上から『ドンブラコ』『浮かれ達磨』『胡蝶』*
ちなみに、『浮かれ達磨』の だるまのキャラクターは…
ドラマ「経世済民の男」の中でも
「借金だるま」として登場していたので、あっ!となりました*
そして、広報誌の類い。
上段右から2番目は、阪急電鉄の前身「箕面有馬電気軌道」から発刊された沿線案内誌『山容水態』(大正3年4月号)。
その左隣は、大正4年3月に上演された『平和の女神』の楽譜集(大正5年3月発行)です*
製作:宝塚映画、黒沢プロ
配給:東宝
阪急百貨店のオープンと、名物のひとつ・食堂の写真などがありました*
…という感じで、資料の写真はおわりです。
ひとりの人がここまで色々できるのは、本当にすごいな…
と感心するばかりで、ついついダラダラ自己満足で書いてしまいました。(すみません)
小林一三さん、岩下清周さんと出会っていなかったらどうなっていたんだろう…
と勝手に想像したりしながら今回はおわります。
ただ、せっかく撮った写真がまだありまして…
関わった方々との写真を少し次回載せたいと思います。(備忘録&自己満足のために)
とりあえず、今回のまとめは小林一三さんのアタッシュケースの写真で*(なぜか)
いろいろステッカーが貼られています。ハイカラ*
*つづく*