阪急電鉄や宝塚歌劇団、東宝などを創業した小林一三さんの記念館へ
阪急東宝グループの創業者である小林一三さんの記念館に行ってきました。
きっかけはNHKの放送90年ドラマ 「経世済民の男~小林一三~」を観たことでした。
以前から功績は知っていたのですが、上のドラマを観たことで一層興味がわき、
ちょうどお安い日帰りツアーがあったので母と参加してきました*
記念館の一部は、こんな感じ。
小林一三さんが暮らした洋館の旧邸「雅俗山荘」です。
逝去後は美術館として使用されていましたが、2009年に美術館が移設したことに伴い、
「小林一三記念館」としてリニューアルオープン。
文化庁より国登録有形文化財(建造物)に認定されたことを機に、
内部は居住していた当時の状態に復元したそうです。
いっぱい写真を撮ったので、家の様子が分かる写真の回と資料写真の回に分けて
アップします。
今回は、家の様子が分かるお気に入りの写真の方です。
入口から*
玄関*そして下の写真がリビングです。
そして階段から2階に続きます。
▼2階から見下ろした様子。
ご家族で暮らしていた時は、なんやかんやで1階に居る人と2階に居る人が声を掛け合った可能性もあります。(勝手な推測)*
2階に位置する、一三さんの書斎。陽がよくあたって心地良さそうです。
そして下が応接室。
お風呂が2か所にありました。
うろ覚えですが、1枚目がお客様用のお風呂、2枚目が妻・幸(こう)さん用のお風呂…
だったような…気が…します…(弱気)。
とにかく、ハイカラです。ピンクで可愛い*
幸さんが使用していた(って解説版があったような気がする)サニタリー(?)*
プレスリリースがありました。(ご参考までに)
▲茶室「人我亭」 などに続く入口。モダン*
*つづく*
*おまけ*
小林一三さんについて、こちらにも詳しく載っていました。備忘録として。
*周辺観光にはこちらのサイトを見るのがおすすめです*
小林一三記念館
開館時間:午前10時~午後5時まで(入館受付は午後4時30分まで)
休館日:月曜日(但し、月曜日が祝日・振替休日の場合は開館、火曜日休館)
阪急東宝グループの創業者、小林一三さんの記念館へ (資料編)
*前回の続きです*
展示品の中でも、わたし的にテンションが上がったのが、こちらです。
NHK 放送90年ドラマ「経世済民の男」(小林一三さん編)の劇中で登場する小道具の写真。
△の上の社員
前列左から:阿部サダヲさん、瀧本美織さん、ほか成人した子ども達(予想)
△の左下写真
前列左から:子どもを膝にのせた瀧本美織さん、その右隣に立つ阿部サダヲさん、ほか幼少期の子ども達
△の右下写真
後列右から:阿部サダヲさん、その左斜め前に座る瀧本美織さん、ほか幼少期の子ども達
(信じられないくらいピンぼけの写真ですみません。カメラ初心者なので悔しいです)
*気を取り直して*
記念館「雅俗山荘」の解説から。
続いて、別館「白梅館」展示室1階の展示品を載せていきます。
上段は「三井銀行勤務時代の辞令各種」。
いちばん左は「東京本店勤務 申渡」(明治16年4月4日)
中央は「大阪支店勤務 申渡」(明治26年9月8日)
中央右横は「名古屋支店勤務 申渡」(明治30年1月19日)と書かれています。
そして下段は24才~26才頃までの名古屋支店勤務時代に書いた「はらみ猫」という戯曲の資料。
解説版には
「名古屋の開放的な風俗に強く影響されたようである」
「20歳代半ばの人のものとは思えないほどの筆の運びで、風刺も十分に効いた佳作である」
というような文章があります。
ドラマでも、銀行で小説を書いたりしていたのでその当時のものですね、たぶん。
下は、三井銀行時代の記念写真。
そして明治40年1月に三井銀行を辞職した一三さん。
「辞職始末記」なる資料もありました。
(肩書きが「阪神急行社長」とあるので、辞めてから年月が経った後に作成されたもののようです)
下が、辞めた当時の三井銀行本店 外観。
そして、阪急電鉄などの事業に力を入れている頃の資料に移ります。
大正9年9月に印刷された阪急電鉄を売り込むチラシ「沿線名所案内」のようです。
確か、自ら制作されたって聞いた気がします。
キャッチコピーは「論ヨリ○○(◂解読できず…「証拠」かな?)、是非!一度乗って見て下さい!!」
本文は、「新しく開通(でき)た阪神急行電車」という見出しで
大阪からのアクセスの良さや利便性の高さをPRした文句が並んでいます。
下は、沿線に住宅地を開発した際のPRパンフレットみたいです。
「月12円で買える土地家屋 理想的郊外生活」と表紙にあり、中面では「新宅物語」という見出しで文章が書かれています。
当時の大阪は開発が進んであまり空気が良くなかったみたいですが、
兵庫の芦屋あたりは田園風景が広がるのどかな所だったみたいなので、需要は高かったかもしれません。
ドラマ(経世済民の男)でも、自らチラシを配ったり乗客を案内したりする様子が映ってました。
もと銀行員と思えない、広告代理店社員のような広告・広報の手腕が感じられます。
そして、いよいよ「宝塚少女歌劇団」の資料たち。
右列は、大正3年(1914年)4月1日に行われた第1回公演の演目の写真。
上から『ドンブラコ』『浮かれ達磨』『胡蝶』*
ちなみに、『浮かれ達磨』の だるまのキャラクターは…
ドラマ「経世済民の男」の中でも
「借金だるま」として登場していたので、あっ!となりました*
そして、広報誌の類い。
上段右から2番目は、阪急電鉄の前身「箕面有馬電気軌道」から発刊された沿線案内誌『山容水態』(大正3年4月号)。
その左隣は、大正4年3月に上演された『平和の女神』の楽譜集(大正5年3月発行)です*
製作:宝塚映画、黒沢プロ
配給:東宝
阪急百貨店のオープンと、名物のひとつ・食堂の写真などがありました*
…という感じで、資料の写真はおわりです。
ひとりの人がここまで色々できるのは、本当にすごいな…
と感心するばかりで、ついついダラダラ自己満足で書いてしまいました。(すみません)
小林一三さん、岩下清周さんと出会っていなかったらどうなっていたんだろう…
と勝手に想像したりしながら今回はおわります。
ただ、せっかく撮った写真がまだありまして…
関わった方々との写真を少し次回載せたいと思います。(備忘録&自己満足のために)
とりあえず、今回のまとめは小林一三さんのアタッシュケースの写真で*(なぜか)
いろいろステッカーが貼られています。ハイカラ*
*つづく*